口はご立派、心は疑問の安倍晋三氏(2)
2005年8月21日
宇佐美 保
『口はご立派、心は疑問の安倍晋三氏(1)』に関して、次のようなメールを頂きました。
それにしても、このような胡散臭い安倍という人が、口は見事ということは、たいへん危険…… 国として一番指針であるべきことは『平和第一!』で(工事現場だって安全第一からですよ)あり、そのために必要な行動は過去の過ちを認め、後始末をし、反省し、けっして繰り返さぬようにすることです。 しかし、後始末なんて簡単にできるような程度の事ではなく、してもしてもしつくせない程のこと┈┈┈┈お金をいくら積もうともいくら謝ろうとも、もうこれでいいだろうということはない? しかも、先の宇佐美さんのページにあったように『「あの戦争の責任は日本の一握りの軍国主義者にあり、一般の善良なる日本人民は、中国人民と同様、握りの軍国主義者の策謀した戦争に駆り出された犠牲者であるのだから、その日本人民に対してさらに莫大な賠償金支払いの負担を強いるようなことはすべきでない”」という周恩来首相のすばらしさにありがたさ┈┈┈┈ 靖国参拝する無神経さがよくわかりますよ〜宇佐美さんのページみたら! だからこそ『絶対に失敗をくりかえさない』ことこそが、最大の償いとなるのですよね。 非を認めたら負けとばかりに、屁理屈で必死に自己防衛することしかしない、日本の政治とはそんなことばかりなんですね。 相手の出方がどうこう以前に、自分の在り方を、指針を、はっきり出す事からしか始まらない そして表面的な雰囲気とかイメージとかに左右されてばかりの国民では、そんな怪しい政治家も見抜けず、どうしようもありません。 自分も国を構成している一人として、ちょっとでも風穴を開けられるよう(分厚い壁だとしても、穴をあけるためのほんの、ひとかきでもできるよう)がんばることからですね。 |
このメールにもあります「周恩来首相のすばらしさにありがたさ」の背景に関し、私は、2つの見解を見聞きしました。
その一つは、東京新聞(2005年8月4日)へのノンフィクション作家保坂正康氏の次なる記述です。
かつて中国の周恩来首相が「日本人民も一部の軍国主義者による犠牲者だった」と言ったことを私は理解できなかった。日本人をばかにしているとさえ考えました。侵略の本質を正面から受け止めることにならないと思ったからです。 二〇〇〇年八月に訪中した際、中国要人に周首相の真意を聞く機会がありました。説明によると、この言葉は中国人民に向けて発したものだというのです。一九五二年、中国共産党の公式機関がハルピンで開くスケート大会に、日本選手を招待すると発表すると、その機関に老若男女のデモ隊が押し寄せ、何日も抗議運動が続いた。 噴出する反日感情を放置すれば、将来、大変な遺恨を残すと考え、周恩来は日本人兵士も犠牲者とする論理で、人民を説得したというのです。私はこの説明を聞いて発言の真意が理解できた。 |
しかし、この説では、何故、周恩来首相が、日本への賠償請求権を放棄したかが分かりません。
ところが、8月15日のNHKテレビで、東洋学園大学教授の朱建栄氏が、次のように顔を真っ赤にされながら訴えておられました。(はっきりした文言は忘れましたが)
周恩来首相は、20代の時、ドイツに留学していて、第一次大戦後の賠償金支払いに苦しむドイツ国民の窮状を目の当たりにした体験から、日本国民へもそのドイツ国民の苦しみを与えるべきではないと考え、戦争責任をA級戦犯に限定し、(一般日本国民に罪は無いとして)、且つ、日本に対する賠償請求権を放棄した。 |
私は、この朱建栄氏の訴えに心を打たれました。
ここで又、前文同様に、テレビ朝日放映『サンデープロジェクト(7月31日)』 “異色対談 安倍晋三VS志位和夫” に於ける、安倍晋三氏(自民党幹事長代理)の発言の検証を続けたいと存じます。
安倍氏:
東京裁判で対象になったのは昭和3年から20年までの間で、十何年間そこで共同謀議が言われたのですが、共同謀議と云う事であれば、全体的な統一されたいわゆる戦略なり考え方がなければいけないんですが、この間内閣が17回に亘って変わっています。 そして、野党から与党にも政権が移っていますね、戦争中も3回に亘って内閣も変わっています。そこでずーっと同じ人と言うのは誰もいないというのはかなり無理が合ったというのも事実です。 |
安倍氏は「そこでずーっと同じ人と言うのは誰もいない」と戯けた発言していますが、おかしいです。
何故なら、その間
「ずーと昭和天皇は日本の中心に居られた」 |
のですから!
となりますと、
「戦争犯罪人は一人昭和天皇」と言うことになりますが、安倍氏よ!よろしいのですか? |
それとも安倍氏の発言は、故意に「天皇の戦争責任問題」を回避する為の発言ということになるのですか?
安倍氏は「昭和天皇の戦争犯罪」をどう考えているのですか?!
東京新聞(2005.8.3)には、ジャーナリスト桜井よしこ氏の「天皇の戦争責任」に関して次の見解が載っていました。
開戦して敗戦に導いた国内的責任は、日本人自身が裁くべきで、外国人に裁かれる必要はない。その最たる責任者が天皇陛下でした。陛下がどこまで戦争を止められたのか議論はあるでしょうが、一番上にいた陛下が退位して責任を取らなければならなかった。 |
天皇陛下が退位するだけで、戦争責任を取ったことになるのか?私は疑問です。
それとも、桜井氏は、「陛下が退位して責任を取らなければ」との見解の中で「陛下が退位して┈┈┈┈責任を取らなければ」の如くに、退位の後と責任を取るの前に、別の言葉(「絞首刑に処せられ」とか?)を意識されているのでしょうか?
そして、又、対談内容に戻ります。
志位氏:
歴史が判断すると言うのが、安倍さんの戦争観と言うことになりますね(安倍うなづく)そうなりますと結局その問題について自らのお考えを持たないと言うことになるわけですよ。 しかしね、これは日本とドイツがやった侵略戦争は間違いだったと言うのは、戦後の世界の土台ですよ国連憲章もその立場にたって書かれている、日本国憲法もその立場に立って書かれている。 |
メールの方のご意見にありましたように、今回の戦争に関しては安倍氏自身の戦争観を有さず、その戦争に対する判断を歴史の判断に委ねていると語っているのです。
なのに、安倍氏は次のように、“日本とドイツは全然違う”と発言を続けています。
安倍氏:
日本とドイツは全然違う |
この安倍氏の見解は、あくまでも加害者側の見解なのです。
被害者側からの見解では、「日本もドイツも全く同じ」と存じます。
安倍氏:
で、あの歴史というのは、それぞれの国は長い歴史を持っています。 塩野七生さんは、こうおっしゃっているのです。「戦争が終わった後は、基本的には勝者と敗者しかいない。では、ハンニバルは象までつれてアルプスを越えてローマに侵略した、では彼らは戦争犯罪なのかといえば、そうではないですね。それはそれぞれの時代によって全然見方が違うのです。 |
冗談ではありません!
安倍氏の「勝者と敗者しかいない」、「戦争犯罪┈┈┈┈それはそれぞれの時代によって全然見方が違う」を認めると(前文に書きましたように)次のようになります。
先ず、扶桑社の『新しい歴史教科書』には、次のような記述があります。
1800年に地球の陸地の約35%を支配していた欧米列強は,強大な軍事力にものをいわせて植民地を広げ,1914年,第一次世界大戦が始まるころには,その支配圏は約84%にまで拡大した。 |
そして、安倍氏の「戦争犯罪┈┈┈┈それはそれぞれの時代によって全然見方が違う」、「勝者と敗者しかいない」との見解通りに、「勝者」である欧米列強は、その戦争、侵略責任を問われてはいません。
当然、日清戦争(1894〜95)の「勝者」である日本は、その戦争、侵略責任を問われてはいません。
そして、1895年に日清両国は、下関条約を結び、「勝者」である日本は、「敗者」である中国(清国)より、日本政府の財政収入の約3倍に当たる3億円と、遼東半島や台湾などを譲り受けたのです。
更に、第一次大戦の「敗者」であるドイツに関しては、扶桑社の『新しい歴史教科書』には次のように記述されています。
1919年、パリで講和会議が開かれ、┈┈┈┈講和の結果、ベルサイユ条約がむすばれた。これによって、ドイツは戦争の責任を問われ、すべての植民地と領土の一部を失い、過酷な賠償金の返済金にあえぐようになった。 これはのちに、第二次大戦の原因の一つとなった。 |
此処での記述の「過酷な賠償金」とは、前文にも書きましたが、当時のドイツの国家予算の17年分に相当する1320億金マルク(、金マルクとは資産の裏付けが必要な通貨)との巨額な賠償金だったのです。
(この件に関しては次のホームページを参照させていただきました。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hmminami/note-kokusaiseiji.htm)
そして、
1945年日本は第二次大戦の「敗者」となりました。 |
ですから、
「敗者」である日本は、日清戦争後の中国(清国)や、第一次大戦後のドイツ同様に、 |
(現在の、日本政府の税収が40兆円、国家予算が80兆円とすると、今のお金で、中国へ120兆円、連合国側へ1360兆円)
ところが、日本と連合国側(中国は不参加)とで、
1951年に締結された『サンフランシスコ講和条約』では、 連合国側は日本に対する賠償金の請求権を放棄しています。 |
1978年に『日中友好条約』が結ばれましたが、 ここでも中国は日本への賠償金の請求権を放棄してくれています。 |
(なんと、驚くべきことには、扶桑社の『新しい歴史教科書』では、この連合国側と中国の「賠償金の請求権を放棄」の事実を記載していないのです。)
そして、
この「賠償金請求権の放棄」と引き替えに「東京裁判」が存在している |
1946(昭和21)年からは,東京裁判(極東国際軍事裁判)が開かれ,戦争中の指導的な軍人や政治家が,「平和に対する罪」などをおかした戦争犯罪者(戦犯)であるとして裁かれた。また,GHQは,戦時中に公的地位にあった者など,各界の指導者約20万人を公職追放した。(扶桑社の『新しい歴史教科書』より)
なのに、安倍氏は“東京裁判でA級戦犯裁いた平和に対する罪”を「事後法」と非難されているようです。
そして、桜井氏は、次のよう「東京裁判批判」をされていました。
小泉さんは国会で「極東国際軍事裁判(東京裁判)を受諾し、A級戦犯は戦争犯罪人と認識している」と答えましたが、私たちは、東京裁判の中身をもう一度振り返る必要があります。マッカーサーでさえ後に「間違いだった」と認めたほど、国際法無視の一方的な裁判でした。その実態を知れば、A級戦犯とされた人々に“罪”という表現を軽々に使うのははばかられるはずです。 |
そして、又、扶桑社の『新しい歴史教科書』では、東京裁判について次のように記述されています。
この裁判で、被告は「平和に対する罪」をおかしたとされた。これは、自衛戦争でない戦争を開始することを罪とするものだったが、こうした罪で国家の指導者をそれまでの国際法の歴史はなかった。 |
若しも、このように「東京裁判」を拒否するのなら、日本は、(日清戦争後の下関条約に準じて)中国に120兆円の賠償金と国土を分割して譲渡しなくてはなりません。
更に、第一次大戦後のドイツに準じて、連合国側に、1360兆円の賠償金を支払い、国土の割譲を行わなくてはなりません。
ところが、先の桜井氏は、同じ東京新聞の記事で次のように語っています。
日中両国は一九七二年に国交を回復、七八年に平和友好条約を結びました。現在までに三兆三千億円を超える政府開発援助(ODA)が本格化した当時、中国は尖閣問題を将来の問題として棚上げしました。当時の中国が優先したのは、いかに援助を引き出すかで、靖国問題は二の次だったのです。 もちろん、中国や朝鮮半島の人々が戦争で受けた心の痛みを無視することは、日本人として誰にも許されません。 |
このように発言される桜井氏は、「口は立派だが、心は貧しいお方」のように見受けられます。
“中国や朝鮮半島の人々が戦争で受けた心の痛みを無視することは、日本人として誰にも許されません”と思うのなら、「当時の中国が優先したのは、いかに援助を引き出すか」ではなくて、「当時の日本が優先したのは、いかに援助を早急にするか」であるべきではありませんか?!
先にも書きましたが、日本が、中国に120兆円の賠償金と国土を分割して譲渡したのなら、桜井氏が、このような大口を叩かれるのも尤もでしょう、ところが、「現在までに三兆三千億円を超える政府開発援助(ODA)」と桜井氏は大見得を切っていますが、それらは、有償であって、中国は今日本へ返却中(加藤紘一氏談)だそうではありませんか?!
何度も繰り返しますが、「それぞれの時代によって全然見方が違う」との立場などから、「東京裁判を否定」される方々は、「日本は、巨額(1000兆円以上)の賠償金を、連合国並び中国に支払うべき!」とも発言すべきです。
「東京裁判を否定して、巨額の賠償金は支払いません!」では、虫が良すぎませんか?! |
そして、東京裁判を「事後法」と非難される方々なら、事が起こる前に、「国際刑事裁判所(ICC)」が世界各国で批准されるように力を注ぐべきです。
ところが、肝心の日本は「国際刑事裁判所(ICC)」を批准していないのです。
だとしたら、「東京裁判を「事後法」と非難される方々」は挙って、日本が国際刑事裁判所を批准するように、働きかけて然るべきと思うのですが、そのような兆候は無いようです。
なにしろ、「国際刑事裁判所」を批准する意思の全くないブッシュ政権を、安倍氏たちは、一言も批判しないのですから!
国際刑事裁判所(ICC)に関しては、次のホームページの記述を抜粋させて頂きます。
http://pol.cside4.jp/kokusai/37.html
紛争地域における拷問や虐殺、ジェノサイドなど重大な非人道的行為を犯した個人の責任を裁くための史上初の常設裁判所。 …… アメリカは海外に派遣した米軍兵が裁かれることを恐れて、当初から強く反対し、国際刑事裁判所設立条約には批准していない。 |
(この国際刑事裁判所の件に関しましては、「国際刑事裁判所と政治家の老後の過ごし方」のホームページを是非、ご参照して頂きたく存じます。)
(http://www.yorozubp.com/0303/030325.htm)
そして、安倍氏は「戦争が終わった後は、基本的には勝者と敗者しかいない。」との認識には、一般市民の犠牲者への思いが欠如しているのです。
戦争が終わった後は、多くの一般市民の死体の山と御遺族の悲しみが残るのです!
何故、安倍氏をはじめ政治家達は、兵士達の死には靖国参拝に拘るのに、一般市民の犠牲者に無関心なのでしょうか?!
7月の初め頃の、テレビ朝日『報道ステーション』にて、中曽根根元首相は、
“日本は先の大戦での原爆などの被害にも耐えてここまで復興してきた素晴らしい国だ。” |
と語っていました。
何かおかしくありませんか?
中曽根氏には、戦争の犠牲者として命を落とされた一般市民への配慮が全く欠如しているのです。
亡くなった方々は、今日の日本の繁栄を全く享受していないのです。 |
中曽根氏の発言は、生き残った者だけが発する事が可能な発言なのです。
中曽根氏の心の中には、戦争で亡くなる一般市民の無念さへの思いやりが全く無いのです。
原爆で亡くなられた方々、空襲で亡くなられた方々、沖縄で亡くなられた方々……
この点は、先の拙文《石原慎太郎都知事とテロ》に引用しました下記の石原発言と全く同じです。
「都民が被った惨禍の事実を風化させることなく東京の平和と繁栄が尊い犠牲のうえに築かれていることを忘れてはならない」 |
即ち、この石原発言には「東京大空襲で亡くなった方々」の無念さに対する認識が全く欠如しているのです。
そして、8月14日放映のテレビ朝日「サンデープロジェクト」で、司会の田原氏は、
全ては結果オーライなんです。 この前の戦争だってそうです。 日本は負けても結果オーライだったのです。 |
と語っていました。
田原氏も、先の戦争で亡くなられた多くの一般市民への悼みの心がないようです。
今回、米国が大儀もなくイラクへ侵略して(拙文《キーワードは軍産複合体》の『ダウニングストリート・メモ』の抜粋もご参照下さい)、イラクの多くの市民が亡くなられても、小泉首相は“イラクの民主化に役立った”とイラクの方々への謝罪を拒絶しています。
(ブレア氏が認識している事実(『ダウニングストリート・メモ』)を、ブッシュ大統領との親密度を誇る小泉氏が知らなかったはずはないでしょう!?
若し知らなかったとしたら、小泉氏は余程の頓馬と言う事です。
そして、知っていたとしたら、とんでもない大嘘吐きです!
そして、最も大事なことは、亡くなられたイラクの方々への謝罪です。
ところが、小泉氏は「靖国参拝」に固執しています。)
では、又、安倍氏の発言に戻ります。
安倍氏:
しかし歴史それぞれについては、個々については歴史家がしっかりと研究をしていくことであって、それが定説として定着するには随分時間が掛かるんですね、では、例えばナポレオン戦争に対する見方だってフランス側から見た見方とイギリス側から見た見方では全然違うと思います。 |
私は、安倍氏の見解には反対です。
「歴史」を「歴史家の研究」に委ねるのではなく、私達自身も考えるべきです。
そして、その判断基準は、キリストの時代から、お釈迦様の時代から“汝の隣人を愛せ”であり“母が自分の子を愛すように、全ての人を愛せ”が人間の規範であるべきです。
そして、この規範が守れなかったら、素直に反省すべきです。
更に、
安倍氏:
でそこで、私は先の戦争を正当化しているというのではないんですね。 あの時代で残念ながらああいう道を日本はとってしまった、そして多くの人たちに迷惑をかけた以上悲惨な思いをさせた以上、これは当然その責任は取らなくてはいけない。こういう姿勢です。 |
このように、「その責任は取らなくてはいけない」と安倍氏は語りつつ、常々、中国韓国の反対を内政干渉と退け、首相の靖国神社の参拝を支持しているのです。
安倍氏は「口と心が遊離している典型的な人」のようです。
更に、安倍氏は続けます。
それをまるで連合国側に立ったように、鬼の首を取ったように、間違ったろう間違ったろう侵略しただろうとこういうことを、同じ日本の中で言い合うというのは、きわめて非生産的だと思いまし、そしてそれに対する答え方によって外交問題にもつながってゆくと言う我々はハンディキャップを常に背負っている中にあって、それについてそういう問題にする事は全く意味のないことなんだろうと思います。 ですからそういう意味で…… |
こんな安倍氏の発言よりも、文頭に引用させて頂いたメール(下記に再掲させて頂きます)の真意こそが、私達に大切なのではありませんか?!
国として一番指針であるべきことは『平和第一!』で(工事現場だって安全第一からですよ)あり、そのために必要な行動は過去の過ちを認め、後始末をし、反省し、けっして繰り返さぬようにすることです。 |
このような真摯な反省が無いばかりに、最近では、“米国への戦争は、自衛の為だった”との見解は兎も角、“朝鮮、中国(清国)への侵略、戦争も自衛の為だった”との見解が現れ始めました。
その例の一つを、田中敏氏(明星大教授)の見解を、雑誌『諸君!(平成10年1月号)』の「ドイツでぶつけてみた私の「近現代史観」」から一部抜粋させて頂きます。
…… 日本にとって、白人から、特にロシアから身を守るために、当時清国の属国で鎖国政策を続けていた朝鮮が、国を開き、独立し近代国家となって、日本の同盟国になることが日本の存亡に関わる切なる願いでありました。朝鮮半島が欧米、ことにロシアの手に落ちて植民地化すれば日本の将来はない。日本は朝鮮との国交を開くことに努めました。紆余曲折を経て一八七六年日朝修交条規が結ばれまじた.この条約には、朝鮮は自主独立国家であり、日本と平等な権利を持つことがうたわれています。 当然の結果として、あくまで挑戦に対する宗主権を誇示する清国と日本との対立は緊張度を増し、日清戦争(一八九四〜九五)となりました。結果は、日本が勝利をおさめることになったのは歴史が示す通りです)清国は挑戦が完全な独立国家であることを承認しました。 …… 日本はロシアとの外交交渉をあきらめ、ついに戦争への決断をしたのでした。日本にとって朝鮮半島の安定こそが生命線であり、この半島に日本に敵対する勢力が降りてくれば、それは即ち日本の危機を意味します。日清戦争も日露戦争もまさにこのために起こったのであります。言い換えれば、韓国が自覚を持って努力をし名実共に独立して、近代国家として自己管理能力を備え安定していれば、日清戦争も日露戦争も、そして後で触れる日韓併合もなかったということであります。…… |
私達日本人は、このように田中氏の見解を披露されると、一瞬ああそうだったのだ!日本は悪くなかったのだ〜〜!と思わずに入られません。
でも、この田中氏の見解を中国、韓国の方が読んだらどう思うでしょうか?
韓国の方は、少なくとも、
“何故、自分の国が日本の為の生命線とならなくてはいけないのだ〜〜!” |
、
“「日本にとって朝鮮半島の安定こそが生命線」と言うのなら、 我々韓国の生命線は何処にあるのだ〜〜!” |
等など
そして、田中氏は「韓国が自覚を持って努力をし名実共に独立して、近代国家として自己管理能力を備え安定していれば、日清戦争も日露戦争も、そして後で触れる日韓併合もなかったということであります。」との見解を披露し、日本の行動を正当化し、韓国を非難していますが、韓国以上に(そうあるべきと韓国に望んだであろう韓国以上に)当時の日本は、「自覚を持って努力をし名実共に独立して、近代国家として自己管理能力を備え安定していた」のではありませんか?
だとしたら、「朝鮮半島に日本の生命線を求めず」、自己で外国の侵略を阻止する気構えを持つべきだったのではありませんか?
しかし、結局は、韓国が安定していようが、してなかろうが「日本にとって朝鮮半島の安定こそが生命線」であって、その「生命線」無くしては、日本の存続は考えられなかったというのでしょう。
だとしたら、変なこじ付けはせず、率直に韓国、中国に謝罪すべきと存じます。
又、対談に戻ります。
志位氏:
この戦争でアジアの方々が2000万人以上の方が以上犠牲になっている、この戦争が始まったのは何処を期限という事は色々あるでしょう。 1931年の満州事変で満州国に攻め入ってこの国を作った、その後、1937年の日中戦争の全面的拡大をやって、そして、1941年に太平洋戦争という形で東南アジア全体を関東軍が攻め入って満州国という傀儡国家を作ったわけですよ。その全体の中で2000万人以上の方が亡くなっている。 満州全体にまで攻め入って傀儡国をでっちあげた国は日本しかない。 私は云いたいのは、安倍さんの議論の中にはあまりにも傷みを受けた人の傷みを受けた側の民族の苦しみに対する理解がないと思うのですよ。 他国からの侵略の傷跡は親から子へと伝わってゆく。 日本国民が広島長崎の被害を忘れてはならないように。 |
安倍氏:
(満州を造ったわけではないですよ) 私も広島長崎を記憶をしますが反米記念館など作っていません。 志位さんは、今中国の言ってることを代弁されましたと私は思いますが、しかしインドは┈┈┈┈ |
私は、安倍氏の見解よりも志位氏の見解に共感します。
広島長崎の原爆被害に対して、安倍氏の“私も広島長崎を記憶をしますが”だけでは、被爆国日本の政治家としては失格と存じます。
もっともっと、米国に原爆投下の非を抗議しているべきでした!
そして、
「真珠湾の奇襲」が、卑怯な騙し討ちではなく、「宣戦布告の後の正当な攻撃だった」、 しかし、日本国の外務省の怠慢の為、「奇襲」の形になってしまった経緯を 米国へ米国国民にしっかりと説明し、謝罪しておくべきでした。 |
(外務省の怠慢行為が、今もって日本国民全体に迷惑をかけている事態を、少しでも改善する努力を政治家も、外務省も傾注すべきです。
この点に関して、先の拙文《憲法の前文を理解出来ないポチ小泉》から、次を再掲します。
毎日新聞(2003年12月6日)には、次のように書かれています。
1941年12月7日(米国時間)の旧日本軍によるハワイ・真珠湾奇襲攻撃から62周年となるのを前に5日、ブッシュ米大統領は7日を「国民パールハーバー(真珠湾)英霊記念日」と定める宣言文を発表した。 宣言文は、宣戦布告より前に行われた真珠湾攻撃で2400人以上の米国人が死亡したことや、これを機に奮起して第二次世界大戦に勝利した経緯、ブッシュ大統領が10月にハワイの慰霊施設を訪問したことなどに触れながら、「米国の自由は米国民の勇気に支えられている」と指摘。01年9月の同時多発テロをきっかけにした「テロとの戦争」でも真珠湾攻撃後の経過と同様に「我々は勝つ」と決意表明している。 また、米国民に対して7日には「適切な儀式と活動」を行うよう促し、連邦政府の機関や各種団体、個人に半旗を掲げて弔意を表すよう求めた。 宣言文の形式や論理展開は、大統領が今年9月、「9・11」を「愛国の日」と定めた際の発表と酷似している。大統領をはじめブッシュ政権高官は真珠湾攻撃と同時多発テロを同列に扱うことが多く、今回の記念日宣言も同じような形態となった。 |
従いまして、小泉首相は、特攻隊員の死、遺書に涙する前に、「無警告の奇襲を仕掛けた卑怯な日本人(日本海軍)」の汚名を晴らすべく、(郵政の民営化以前に)命がけで奔走すべきです。